2009年6月30日にわが国の国際財務報告基準(IFRS)のアドプション(採用)へ向けたロードマップが示された「我が国における国際会計基準の取扱いに関する意見書(中間報告)」が企業会計審議会から公表されたことで、今後、わが国においても、質の高いグローバル・スタンダードであるIFRSへの本格的な対応が求められるようになるものと思われます。そこで、今回は、IFRSの世界が求める基本的かつ広範なスキルセットについて考えてみたいと思います。
IFRSを学習するということは、単にIFRSの規定を理解することだけにとどまりません。IFRSの正文は英語ですので、IFRSをめぐる動向をいち早く察知するためには、英語力が不可欠です。とりわけ、最前線の国際的な場で活躍するためには、英語による高度なコミュニケーション能力やプレゼンテーション能力が必須といえましょう。他方、IFRSの迅速な翻訳態勢を整備するとともに、翻訳の精度を高めることは、英語を母国語としないほかの国々と同様に、わが国においてもIFRSの国内における普及・適用を促進する上で大きな課題です。また、IFRSの世界では基本的に電子媒体を通じて情報を伝達することが前提とされていますので、パソコンなどの情報機器を自由自在に操ることのできるスキルも最低限の素養として求められることになるでしょう。
IFRSは、原理原則を明確にし、例外を認めないという「原則主義」(プリンシプル・ベース)の会計基準であるといわれています。これまで慣れ親しんできた日本基準のような「細則主義」(ルール・ベース)の会計基準とは根本的に異なり、原則主義のIFRSの世界に対応するためには、的確な会計知識を備えて自分の頭で考え、適時、適切な判断を下すことのできる能力を身につけるための主体的かつ積極的な取り組みが求められます。
原則主義のIFRSの下では、会計基準の適用のために求められるスキルセットも変わってくることが予想されます。細則主義の下では、会計基準を理解することが難関領域の一つでした。細則主義の会計基準の膨大な規定の中から、問題となっている特定の取引・事象に適用する規定を特定するためには、膨大な会計基準のすみずみまで相当に精通していることが求められ、また、検索システムなどを手がかりに関係する規定を瞬時に抽出する手腕が問われてきました。その代わり、いったん会計基準の該当規定にたどりつくことができれば、あとは規定の定める手順に従って適用し、結論に到達することは比較的容易でした。一方、原則主義のIFRSでは、会計基準の分量は限られています(IFRSのすべての基準と解釈指針を合わせても原書で2,800ページ程度です)ので、その内容を理解する際の負担はかなり軽減されるでしょう。その分、実質優先思考を重視するIFRSでは、従来にも増して取引の実態を経済的に整理し、正しく分析する能力が必要とされるようになるでしょう。
しかし、原則主義のIFRSに対応するためには、それだけでは不十分です。原則主義のIFRSでは、個別の取引・事象への適用に際しては、原則の趣旨に基づく「判断」が求められるケースが増えるため、基準そのものに対する理解や取引の経済的実態に対する正しい理解に加えて、IFRSの適用能力を身につけることが重要になってきます。これらのスキルを高めるためには、事例研究を通じて、あるいは実践の場において、IFRSを使いこなす上での解釈方法や判断力、いわゆる勘所を体得すべく、豊富なIFRSの適用経験を積む(いわゆる場数を踏む)ほかはありません。
会計基準の適用に必要な主要なスキルセットを①会計基準の理解、②取引実態の把握および③実務適用能力の三つで示すとすると、おのおのの比率は、細則主義の下では、①会計基準の理解が80%、②取引実態の把握が15%、③実務適用能力が5%であったものが、原則主義の下では、①会計基準の理解が20%、②取引実態の把握が30%、③実務適用能力が50%と様変わりするものと思われます。
このようにIFRSの世界では、企業会計の焦点は、「細かなルールどおりの処理と正しい計算」から「主体的で妥当な会計判断の行使」へとシフトすることとなるでしょう。また、さまざまな局面において、説明や協議の機会が増えますので、アカウンタビリティ(説明責任)の精神に根ざしたコミュニケーション能力も重要な要素となります。IFRSの導入により、企業には自らの会計判断の正当性について根拠を示して立証することがこれまで以上に求められることになるでしょう。会計監査においても詳細な規定との適合性よりもむしろ、会計判断の妥当性が焦点の一つとなるでしょう。IFRSの適用に当たっては、どういうふうに考えて結論に至ったのかというプロセスが重視されますので、企業としては、見解の分かれそうな論点については、自己の会計処理判断に至るプロセス、根拠および結論を明確にするために「ポジション・ペーパー」に記録しておくといった対応が必要になってくるものと思われます。また、同業他社の会計処理や会計判断が参考となるケースも多いと考えられますので、積極的な情報交換等を通じて、IFRSに対する業界としてのあるべき対応をベストプラクティス(最善の実務)として共有していくことも有用でしょう。こうしたIFRSの適用経験や事例をグローバル・レベルでデータベース化して蓄積・共有できれば、国際的に一貫性・整合性のあるIFRSの適用・執行が実現するでしょう。
これまで細則主義に慣れ親しんできた人たちにとっては、IFRSの世界は、根本的に異なる世界と感じるかもしれません。一定水準の知識と経験に依存する原則主義の下では、詳細な規定がなくても、取引の経済的実態を反映した適切な会計処理が主体的・自発的に導き出されるといわれていますが、柔軟かつ弾力的な対応といった企業の自由度を最大限確保しつつ、細則主義の下である意味一律的に行われてきた最低限の情報開示のレベルを維持することは容易なことではありません。原則主義へと転換することで財務報告の質や比較可能性が損なわれることのないように、わが国関係者のレベルを全体的に底上げするとともに、健全なアカウンティング・マインドの醸成を図っていくことが今後の課題といえましょう。
- IFRS導入の世界での潮流と日本の対応―なぜIFRSが選ばれるのか―
第5回:IFRSをめぐる最近の動向 (2010.03.04)
- 会計基準等の適用時期(平成21年12月4日現在) (2009.12.09)
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第4回:IFRSの適用に求められるスキルセット (2009.12.04) - キーワードで読む会計制度
第10回:内部統制報告制度の概要 (2009.04.23)




